ルート・ブリュックを追いかけて。アトリエシムラ(1)植物の色、鉱物の色
書籍『はじめまして、ルート・ブリュック』にも「色」の章で寄稿してくださった染織家の志村ふくみさんと志村洋子さん。「自然から色をいただく」という考えの元、植物で染めた糸を手織りして生み出す色彩の世界は、多くの人々を魅了しています。
そんなふたりの芸術精神を受け継ぎ、色の世界をより広く伝えていくために3年前に生まれた染織ブランド「アトリエシムラ」が、「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展のために、会場限定の特別グッズを制作してくれています。前期作品の釉薬の色にインスピレーションを受けた「ストール」と、後期作品に着想を得たコラージュ「小裂の額装」です。
日本とフィンランド。国や時代を超えて「色」というテーマに共鳴したクリエイターは、今回のコラボレーションにどんな思いを寄せているのでしょうか。志村ふくみさんの孫で、アトリエシムラの代表を務める志村昌司さんと、今回のストールのデザインを手がける堀ノ内麻世さんに話を聞きました。全三回の連載でお伝えします。(聞き手:今村玲子 撮影:森 塁)
第一回 植物の色、鉱物の色
日本とヨーロッパで異なる色彩感覚
――昨年12月に発行した書籍『はじめまして、ルート・ブリュック』の「色」の章で志村ふくみさんと志村洋子さんに寄稿していただいたことから、今回の展覧会グッズ制作のご縁につながりました。
志村昌司 今回、「色」というテーマのもとで、アトリエシムラとルート・ブリュックとのつながりができたと思っています。そこで、改めて日本とヨーロッパにおける色の概念について考えているところです。
今、志村ふくみの著作『色を奏でる』(2019年3月刊行予定)の英語版”Music of Color”を制作中で、一番苦心しているのが色名の翻訳なんです。昔から、日本は色名イコール植物の名前。紅花なら紅、刈安なら刈安、藍なら藍。植物と色がセットで認識されている文化なので、植物の数だけ色名があります。すでに平安時代の『延喜式』には30種類くらいの植物染料が登場しますが、江戸時代は300種類くらいまで増えたそうです。それだけ植物から色を抽出することができるようになったのだと思います。
ところが英語圏では、紅花という植物の英語名はsafflowerですが、誰もそれを色の名称とは思わないんですよね。safflowerと書いた時に、それがピンクなのかレッドなのか、どう解説しようかと悩みます。ヨーロッパでは、例えばステンドグラスのように色イコール光(プリズム)。色と光が結びついた文化、そして色と植物が切り離されている文化の人たちに、日本の色をどう伝えたらいいかをよく考えます。
ブリュックの色は光と結びついている
――ブリュックの色は、釉薬、あるいは鉱物の色です。
志村 以前、京都国立近代美術館で「技を極める―ヴァン クリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸」展が行われた時、祖母・志村ふくみがコメントを求められて「鉱物の色は永遠、不変であり、色として最高峰。植物の色は儚く、その時の色。鉱物の色にはかなわない」と答えました。もちろん、どちらがいいということではなく、鉱物の色はやはり光と結びついた色なのかなという気がしますね。鉱物と植物の色彩感覚の違いが、ヨーロッパと日本にはあるように思います。
――植物染料は、染められる糸との関係性も深そうですね。
堀ノ内麻世 糸や布の場合は、色を吸収します。でも、陶磁器の場合は反射するというか、角度によってさまざまな色が見える。それは、大きな違いではないでしょうか。
化学染料と植物染料
――逆にアトリエシムラとブリュックの共通点、親和性はどこにあると思いますか。
志村 どちらも記号としての色ではない、ということではないでしょうか。僕たちが企画と衣装制作を行った新作能「沖宮」(www.okinomiya.jp)の記者会見の時、「植物染料と化学染料の違いは何か」と質問され、祖母は「化学染料は明確な記号で、その背後の世界がない。植物染料はその色の背景や奥行きがあり、命の世界とつながっている」と答えました。色を入り口にして、その色の背後にある植物の命の世界につながっていけるというわけです。
日本語で「紅花の色」と聞けば、私たちのイメージはダイレクトにその花の命のなかに入っていきますね。でも化学染料は記号であり、その数値に留まっている。そこはなにか根本的な差があると思うのです。例えばパソコンで何万色出たとしても心に長く残る感動があるわけではない。そのような深い精神性が、ブリュックの色彩世界にもあるのではないでしょうか。
――ブリュックは職人や助手と意思疎通を図るために釉薬を記号や数字で呼び分けていました。しかし、確かに、彼女のなかではひとつひとつ自然のなかにある色、という認識だったかもしれません。
志村 神聖な気分になるような色ですよね。自然と共生する日本人の自然観と、ブリュックを含むフィンランドの人びとの自然観というのは、意外と近いのかもしれませんね。
堀ノ内 私自身は化学染料も植物染料も両方扱うのですが、化学染料は「自分がほしい色」をつくりだす世界で、植物染料は「自分の手を離れる」という感覚があります。植物の量や染める場所の環境によって色はどんどん変わっていきます。私たちは、それをどう活かすか、ということに取り組んでいるような気がする。ブリュックの作品も、釉薬の研究が進んでも全く一緒にはならないでしょうし、窯で焼く時には自分の手を離れる瞬間があると思うんです。
志村 それは工芸のひとつの特徴かもしれません。アトリエシムラの場合は植物から命をいただくわけだから出てくる色はお任せ。陶芸も窯から出してみなければわからない。どちらも、人間がコントロールできない部分をあえて残して、それを受け入れる面がありますよね。そうした工芸的な側面が、アーティストであるブリュックにもあったのかもしれませんね。
光へ
――そんなブリュックですが、晩年に近づくにつれ、色を離れて光と影の表現へと移行していきます。室内に差し込む自然光が刻々と動くことによって、タイルの凹凸が生み出す陰影がどんどん変わっていく。ある意味、これも自然に委ねているといえます。
志村 『源氏物語』は、平安時代の絢爛豪華な色彩世界が表現されている文学ともいえますが、最後の「宇治十帖」は色なき色、無彩色の世界になっていきます。般若心経の「色即是空、空即是色」のように、あらゆる色は空になり、空からまたあらゆる色が出てくるという考え方。究極的な色彩表現が無彩色であるという、ある意味日本人的な発想がブリュックにもあったということなのでしょうか。とても興味深いです。