制作チームが語る、本「はじめまして、ルート・ブリュック」のこと
ルート・ブリュックをはじめて知る人に向けた本「はじめまして、ルート・ブリュック」が刊行しました。代表的なセラミック作品約70点を中心に、さまざまな分野で活躍するクリエイターたちの言葉、フィンランド・ラップランドの風景写真を織り交ぜて、9つのテーマでブリュックの世界を紹介します。
編集チームにデザイナー/写真家も加わり、みんなで「ルート・ブリュックとは何か」と問い続けながら、言葉やビジュアルを積みあげていきました。メンバーに、この本について語ってもらいました。
それぞれのフィンランド体験
(まず、自己紹介も兼ねて、それぞれの、はじめてのフィンランド体験について)
前田 景 10年以上前に北欧を旅した時、フィンランドに3泊くらい滞在したのがはじめて。その時はアラビアやヌータヤルヴィにはまっていて。現地で陶器やガラスも結構買いましたね。当時はカイ・フランクやカーリナ・アホ、ビルゲル・カイピアイネンなどのプロダクトが好きで、ブリュックなどのアートピースにはあまり興味がなかったのですが。年を取るにつれて少しずつ、そういった複雑なものが好きになっていきました。
新谷麻佐子(kukkameri) 私は9年くらい前、フリーランスになって数年目に、フィンランドに行きました。雑誌でムーミンの記事をさんざん書いているのに現地に行ったことがなかったので、「やっぱり見たい!」と思い立って、ふらっと訪れたんです。その時はムーミンに縁あるスポットだけ周りました。
内山さつき(kukkameri) 私は、2013年に雑誌のムーミン特集の取材で行きました。ボートでクルーヴハル(ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが1965年から約30年間、夏の間に滞在していた小島)に向かったら、諸事情があって数十メートル手前のところで上陸を断られてしまったんです。でも、トーベがどんなところで作品を書いていたのかを知りたくて、諦めきれなくて。方法を探って、翌年に訪問できることになりました。そこは水道も電気もない無人島なので、「誰か一緒に冒険をしてくれる人はいないかな」と考えて、新谷さんを誘った。それが私たちkukkameriのはじまりでもあります。
まとめすぎないように、1章1章バラバラに
新谷 前田さんは、最初にビジュアルブックの話を聞いた時どう思いましたか。
前田 ある日突然、「ルート・ブリュックを知っていますか。興味ありますか」と聞かれて。びっくりしたけど、フィンランドもアラビアも好きだったから、素直に「やってみたいな」と思いました。ブリュックの存在も知っていたし。交流のあるビオトープの築地雅人さんが、2016年に現地で行われた生誕100周年展の写真をインスタグラムにあげていて、特に、展覧会のメインビジュアルのグラフィックが気になったんですよね。ブリュックの後期のモザイクを線画でトレースして「B」「R」「Y」「K」の文字をデザインしたものです。実はそれがインスピレーション源になって、陶芸家の鹿児島睦さんにアルファベットの図案をお願いしたこともあるんですよ。そんな経緯もあって、勝手に縁を感じました。
内山 前田さんの事務所に行って、作品集をお見せしたんですよね。作品の印象はいかがでしたか。
前田 まず作風の変化に目がいきました。後期のモザイクタイルの作品は知っていたので、そこからさかのぼって眺めながら、「こんなに作風が変わっていったのか」と驚きました。一番好きなのは、1950年代の、果物や魚のモチーフが描かれた陶板。ほしいです(笑)。
内山 その頃の陶板について、アート・ディレクターの葛西薫さんは「日本のよき時代の絵のような気がする」「デザインという言葉が生まれる前の、図案や挿絵のイメージがある」と、第6章「時」のなかで語っていますね。
前田 葛西さんのインタビューはとても共感しました。特に「北欧はいつでも太陽が低いところにあって、サイド光の風景」という話はとても面白かった。葛西さんも北国の方なので実感がありますよね。
新谷 前田さんの奥さんで、料理家のたかはしよしこさん(S/S/A/Wオーナー、万能調味料「エジプト塩」の開発者)も、ルート・ブリュックがお好きなんですよね。
前田 妻は、10年くらい前にもらったルートの作品のポスターをずっと大事に持っていたんですよ。それで、僕が「ルート・ブリュックの仕事をすることになった」と言ったら、「この人、知ってる!」となって。本については、特にマーリア・ヴィルカラさん(ルートの長女、現代アーティスト)の言葉に感動していました。第2章「母と子」で、「母がアラビアに行かない日は、『あなたも学校に行かずに家にいてほしい』」というくだりは、「こんなお母さん、いるんや!」とかなり衝撃を受けていました。あと、「母親というものは、ときには、自分の仕事のなかへとエスケープすることがある」というところも、同じ働く母親として共感したようです。実際、この章のルート像って、どこか妻とかぶるところがあるんですよ。
新谷 私のまわりにも子育てをしながら、仕事やアーティストとしての活動を続ける女性が多く、そういう人たちの心にも届いたらいいなと思っていたので、よしこさんの反応はとてもうれしいです。
ところで前田さんは、デザインをする上で、大変だったところはありましたか。
前田 大変という感じは全くありませんでした。ひとつひとつの作品の存在感がとても強いから「もたない」ということがない。ただ、この本の方向性が、ルートの多様性を表現するため「まとめすぎないように、1章1章バラバラに」だったので、そこは難しかったです。「バラバラに」って言うのは簡単ですけどね(笑)。章ごとに全く違うレイアウトや世界観を展開しながら、本全体のバランスをとるのは苦労しました。でも、インタビューや寄稿などの「言葉」が出てきてからは、割とすんなり、自然にレイアウトしていくことができました。
内山 はじめに、第1章「蝶」のレイアウトが出てきた時に、「これはすごく面白い本になりそう」と確信しました。この見せ方のアイデアはいつ生まれたのですか?
前田 このレイアウトは、僕自身がこの本のためにフィンランドに行って写真を撮ってきた、ということが大きいですね。現地で見てきた景色と、ルートの作品をどこかでつなげたいと思ったんです。フィンランドの風景と作品をひとつにしちゃうのは、ある意味強引だけど、一番ダイレクトなやり方だった。
内山 前田さんは、この本では、撮影とデザインを手がけています。撮影する時は写真家の目線、いったんレイアウトに入るとデザイナーの目線になる、と仰っていましたね。
前田 レイアウトする時は完全にデザイナーに切り替わりますね。自分が撮った、撮らないに関わらず、本全体のなかでどんな画像が必要か、ということを考えます。EMMA(エスポー近代美術館)からもらった作品画像については、本当に自由に使わせてもらった感じです。
ラップランドという場所について
新谷 第9章「ルートとタピオ」のグラピアページは、ルートが過ごしたラップランドのサマーハウスを撮影した写真で構成しています。前田さんがラップランドから帰ってきてすぐに、撮りたての写真をiPad で見せてくれたときのことをよく覚えていて、なかでもサマーハウスの写真は、ここにルートとタピオがいたのかという感動と、写真家としての前田さんの切り取り方、ポエティックな世界観に見とれました。編集者としてはこのワクワク感を読者の人にもっともっと見せたかったのですけど。
前田 本のほうはこれで十分かな。「どういう観点で見せたいか」を考えた結果、この点数とセレクトになりました。例えば、このサウナや食事の写真は、直接的にはルートの作品には関係がない。でも、「ルートもサウナに入っていたのかな」「ルートはこういうものを食べていたのかな」とか、読者が生活の部分を感じることで、作品のなかにより深く入っていけるのではないか、と思ったんですよ。
新谷 ラップランドはゆっくり制作するための場所。アーティストにとってアトリエのような、制作の現場ですよね。私自身はこの本を編集しながら、作家にとっての「制作の場所」ということについて考えました。自分のパートナーと、自分の好きなことに没頭できる、そんな場所を見つけられてうらやましい。私自身も、どこかにそういう場所がないかな、と思う時があって。この本づくりをきっかけに、今、ラップランドに本当に心惹かれていますね。
内山 トーベが作品制作のために何十年も通っていたクルーヴハルもそうですが、交通手段が限られて、物理的にも精神的にも、なかなかいけない特別な場所。こういうかたちで、読者の方にお伝えできるのはよかったと思います。私が印象的だったのは、前田さんが撮った、曇り空の写真。フィンランドって、夏のキラキラしている時はほんとうに美しくて憧れの景色が広がっているんだけれど、そうではない、キラキラしていないフィンランドの良さってあるんですよね。前田さんの写真には、そういう空気感があって、一緒に旅をしているような気持ちになりました。
新谷 サマーハウスでは、ルートの夫であり世界的デザイナーのタピオ・ヴィルカラに対する見方も大きく変わったそうですね。
前田 以前は、タピオのプロダクトや彫刻って、自然をダイレクトに表現しているように感じて、要素が多いというか、少し大げさに感じていたところがありました。でも、実際にラップランドに行ったら、すべてが腑に落ちた。タピオは自然をそのまま写しているのではなく、自然の法則をつかんだ上で、ひじょうに昇華された表現をしていることが分かった。「この場所でこういうものが生まれたのか」という説得力がすごかったです。逆にいうと、ルートはあの環境にいて、タピオの影響を受けずに、独自の創作を貫いたのはすごいと思う。
内山 ルートが、タピオが亡くなってからも晩年までそこに通い続けた、というのは印象的ですね。トーベは、77歳の時に体力の衰えを感じて島を引き上げるんです。誰かに迷惑をかける前にと、何よりも愛していた島を去るわけです。ルートは、タピオのいないサマーコテージに毎年どんな思いを抱えながら通っていたのでしょう。それが、最後の作品「流氷」(第8章)につながっていくのかな、と考えると、アーティストとして独立していたルートとタピオが強く結びついていたことを感じます。
サマーハウスは壮大なインスタレーション?
新谷 ラップランドでは、マーリアさんと夫のティモさんが案内をしてくれたんですよね。
前田 サマーハウスは家族のプライベートの場所なので、最初は撮影できるかわからない、という状況でした。いきなり行ってパシャパシャ撮れないし、慎重になる部分もありました。でも極論、撮ることが重要というよりは、マーリアさんと一緒に旅をして、家族のことを理解することが第一だと思っていたので。行ってみたら、全面的に撮影を許された。もう来ることのできないところだと思ったので、たくさん撮りました。マーリアさんたち家族から受け取るものはすべて受け取ったと思っています。
内山 そういえば、今年、越後妻有アートトリエンナーレで、マーリア・ヴィルカラさんのインスタレーション「ブランコの家」を見てきたんですよ。誰もいない家屋の室内でブランコが揺れているという作品で、そこに暮らしていた人の記憶や気配が表現されていました。
前田 サマーハウスにも、タピオのグラスやパイプが何気なく置かれていました。今もルートとタピオがそこにいるような気配や雰囲気がありましたね。
内山 今回のサマーハウス取材は、マーリアさんにとっても、単なる友達が遊びに来るのとは違う意味があったと思います。現代アーティストが、何もせずにゲストを招くことはないのでは。この旅は、もしかしたらマーリアさんがプログラムした、「ルートとタピオの気配を感じさせる」ための壮大なインスタレーションでもあったのかもしれませんよ、そしてそれを自ら案内してくれたのでは(笑)。そのくらい、第9章のひとつひとつのエピソードが際立っていると思います。
前田 ルートのことを僕らに理解させるために、そこまでやったのか。そうだとしたら本当にすごいですね…。個人的には、今回フィンランドに行ったことは、本づくりという以前に、人生の一大事でもありました。僕の父(前田晃)も祖父(前田真三)も風景写真を撮り続けていて、自然というものから美を取り出すことをしていることもあって。本当に大事なものを見せてもらったし、将来振り返った時にも「ものすごいターニングポイントだった」と言えると思います。