島塚絵里の「フィンランド、暮らしの楽しみ」(1)
ヘルシンキ在住のテキスタイルデザイナー、島塚絵里さんが、フィンランドからすてきな暮らしのエッセンスを届けてくれるコラムです。第1回目のテーマは、ブリュックもきっと楽しんだ「きのこ狩り」。フィンランドの人たちは、きのこ狩りに真剣なのです。
第一回「きのこ狩り」
きのこ狩りは宝探しに似ている
フィンランドに移住して早いもので11年になるのだが、私が毎年楽しみにしていることがある。それはきのこ狩りである。7月頃からイタリア人も大好きなポルチーニ(フィンランド語:ヘルックタッティ)、8月はかもめ食堂でもおなじみの美しい杏茸(フィン語:カンタレッリ)、9月〜11月は呪文のような名前のトランペットに形が似ているスッピロバハベロと、季節によって、採れるきのこが変わってくる。秋は雨が多く、雨が降ると「今頃、森できのこがすくすく生えているのかな」とすぐにきのこのことを考えてしまう。東京で育ったことの反動か、食べ物が近くで採れることが楽しくてしょうがないのだ。
きのこ狩りを一つとってみても、その国の文化や習慣が垣間見られるから面白い。まず、きのこハンターとしてありがたいのが、フィンランドでは自然享受権(Everyman’s Right)という、誰もが自然でのアクティビティを楽しむことができる権利が法律で認められていること。環境破壊に触れず、他人に迷惑がかからない限り、誰でも森に入ってベリーやきのこを採集してもよいことになっている。つまり、「ここの森にはきのこがありそう」と思ったら、自由に森に入って散策してよいのだ。
一度、きのこ狩りを趣味とするベテランのエイヤさん(仮名)に連れて行ってもらったことがある。森に入ると彼女の表情や動きが突如として変わるのがわかった。エイヤがポルチーニ茸を見つけると、まずきのこについている泥をナイフで削ぎ落とす。そして、重要なのはその削ぎ落とした部分をほったらかしにしないこと。そこにきのこがあったことが他の誰にもバレない様に、葉っぱや枝で上手に隠すのだ。きのこ狩りは宝探しに似ている。きのこのありかは誰も教えてくれない。これは自分で探すしかないのだ。きのこのありかは遺言の様に親戚に語り継がれることもあると聞いたこともある。簡単に見つからないから、見つかった時の喜びもひとしおなのかもしれない。
きのこはどの森にも生えているのだと思っていたけれど、森にもいろいろ種類があることが次第にわかってきた。白樺が多い森だったり、松が多い森だったり。生えている木の種類によって、生えるきのこも変わってくるから、奥が深い。森を歩いていると色々なきのこに出会うのだが、食べられるきのこは限られているので、自分の知っているきのこだけを採るのがコツ。中には毒があるものもあるから、要注意なのだ。
誰でも探せる初心者向けのきのこと言えば、スッピロバハベロ。9月くらいから11月くらいまで、初霜が下りる頃まで生えているきのこだ。このきのこは仲間の近くに生えているので、一つ見つけるとたくさん見つけられる。スッピロバハベロは、苔が生えて気持ちの良さそうな場所にだいたい生えていて、このきのことは相性が合うのか、この辺に生えていそうだなと思うところにいたりする。
2018年、国連の調査でフィンランドが幸福な国のトップに輝いた。先日、101年目の独立記念日を迎えたフィンランドのテレビ番組での街頭インタビューで、幸せの秘密はとの問いに、「日々の暮らしの幸せ」と答えた人の回答に、やっぱりそうだなあと同感したのだった。私にとって、きのこ狩りはまさに日々の暮らしのささやかな幸せの一つである。ヘルシンキは自然がとても近くにあり、季節の変化を身近に感じながら暮らすことができる。車で1時間ほどいけば、きのこが生える森に到着できるのだ。自分で採ったきのこを調理して、晩ご飯に食べられるのは、サステイナブルで、とても贅沢なことだと思う。クリームソースにしたり、スープにしたり。少しマンネリ化してしまったので、来年は新たなレシピに挑戦してみようと密かな想いを抱いている。
毎年シーズンの終わり頃になると、「今頃、人の目を逃れたきのこがどれだけ生えていることだろう」とフィンランド中のきのこに思いを馳せる。もっと森に行きたかったなあとつぶやきながら。私がおばあちゃんになった頃には、遺言として伝えられることができるくらい秘密の場所を持ちたいものだ。