THE NIIGATA BANDAIJIMA ART MUSEUM

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島塚絵里の「フィンランド、暮らしの楽しみ」(5)闇の後に必ず光はやってくる

ヘルシンキ在住のテキスタイルデザイナー、島塚絵里さんが、フィンランドからすてきな暮らしのエッセンスを届けてくれるコラムです。最終回である第5回目のテーマは「カーモス」。フィンランドでは10月頃から日照時間が短くなる「闇の季節(カーモス)」がはじまります。その苦手意識を克服するため、島塚さんはオウルを訪れました。

島塚絵里さん。Photo:Norio Kidera

第五回 闇の後に必ず光はやってくる

北国に暮らす人の知恵

フィンランドに移住してから10数年が経とうとしていますが、今でも苦手なものがあります。それは、11月。日照時間がとても短く、天気の悪い日が続くと、太陽の姿を何日も見ることはありません。雪が降れば、あたり一面明るくなり、気持ちも明るくなるので すが、温暖化の影響か、ここ数年は暖冬が続き、ヘルシンキで雪景色を見ることはほとんどなくなってしまいました。この季節が来ると昔住んでいた沖縄の太陽がたまらなく恋しくなります。

北国にも四季がありますが、大きく分けると二つの季節に分かれるのではないかと思っています。それは光の季節と闇の季節。夏は日照時間が長く、何もかもが美しく光り輝いて います。8 月を過ぎると徐々に日は短くなっていき、10月頃になると闇の季節が訪れます。この季節をカーモスと呼ぶのですが、「フィンランドに行ってみたい」という友人には、「カーモスの時期(特に 11月)は避けた方がよい」とよく言っていました。

そんな苦手意識を克服すべき時が来たのか、カーモスの魅力を探るため、オウルという街に出かけることになりました。ヘルシンキから 600 キロほど北上した都市、オウルは「北欧のシリコンバレー」と呼ばれていて、数々のIT企業やスタートアップが存在する活気のある街です。今回はオウルの他、ラーへ、ハイルオト、ロクアという街を巡りました。

朝7時にオウルに到着し、ビジネスオウルで働く貴子さんが迎えに来てくださいました。 貴子さんはオウルの大学院でビジネスを学んだ後、日本とオウルの橋渡しになる仕事に日々従事しています。今回の旅はオウル愛に溢れる貴子さんが企画してくださいました。オウルに到着し、まず向かったのがラーへという小さな街です。13歳の時に始めてフィンランドにやってきた時のように、ほぼ何も知らない状態で、突然ふらりとやってきたのですが、すっかりラーへの魔法にかかってしまいました。

印象的だったのは、ラーへ博物館。19 世紀には造船業が盛んで、地元の男性たちはこの街で作られた帆船に乗り、世界中を旅していました。若く11歳で船乗りになった子もいたそうです。船乗りたちは 3〜4 年も母国に帰らないこともあり、街に残った女性たちはいつ帰るかわからない夫や子供たちの帰りを待ちながら、経済的にも自立しないといけませんでした。ラーへ博物館は、古い薬局、造船業のオーナーであるソベリウス家の邸宅、パックハウスなど、小さな博物館から成り立っています。

中でも、心に残ったのは、パックハウス2階に展示された船乗りたちのお土産の数々でした。ヨーロッパ各地はもちろんのこと、アラスカ、アジアなど世界中を旅して持ち帰ったお土産が所狭しと並んでいたのです。私たちはインターネットで様々な情報が簡単に手にはいる時代に生きています。自分が体験したことではないのに、簡単に知ったつもりになってしまうこともよくあります。200年前に命をかけて世界を旅し、北国の小さな街に持ち帰られた品物は、私に強烈な印象を与えました。「自分の目で見よ、感じよ」という先人からのメッセージを受け取ったように感じました。

その夜はロウソクの光に灯された隠れ家のような地下倉庫で、地元の作家たちと一緒に食事をとしました。そこで皆さんとカーモスの話をしたのも、よい思い出になりました。この季節にはロウソクの光を楽しんだり、手仕事に勤しんだり、この季節なりの楽しみというのがあります。そして、「暗闇の先には必ず光がやってくる。そう考えたら、カーモスもそんなに大変なことではないのです」と教えてくれました。

今はコロナという目に見えない恐怖で、世界中がカーモスのような状況になっているのかもしれません。でも、こんな状態も永遠には続きません。いつか必ず光がやってくると信じ、大きなプロセスの一部に過ぎないと思えば、今この状況でしかできないことや楽しめることも発見できるのかもしれません。

北の街、オウルに暮らす人々はなんだか大らかに感じました。それは、毎年必ずやってくるカーモスの後には光の季節がやって来る、という事実を体験として知っているからなのかもしれない、と、その夜、薪サウナに入ってじんわり芯から温まりながらふと思ったのでした。(終)

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