島塚絵里の「フィンランド、暮らしの楽しみ」(3)
ヘルシンキ在住のテキスタイルデザイナー、島塚絵里さんが、フィンランドからすてきな暮らしのエッセンスを届けてくれるコラムです。第3回目のテーマは「夏小屋の過ごし方」。人口16人というラップランドの小さな村で、島塚さん一家はどんな夏を楽しんだのでしょうか。
第三回「夏小屋の楽しみ」
心臓の音
電気のない夏小屋に憧れを抱くきっかけをくれたのはマーリアだった。タピオ・ヴィルッカラ生誕100周年を迎えた2015年、日本のデザイン雑誌に記事を書くことになり、マーリアにインタビューする機会を得て、アテネウム美術館のカフェで会うことになった。彼女はまるで好奇心溢れる少女のような心を持った人物で、一目会うなりすっかり楽しい気分に包まれた。タピオ・ヴィルッカラとルート・ブリュックというフィンランドを代表するアーティストを両親に持つマーリア。夏になると、アーティスト一家ははるか遠いラップランドの土地に赴き、湖畔の夏小屋に滞在していたのだそうだ。
両親は夏小屋ではつねに仕事をしていたという。白夜なので時間も気にせず、好きなだけ仕事や遊びに没頭し、夜中に散歩したり、スープを食べたりすることもあったとか。なかでも、電気のない夏小屋では「8-9日もすれば、自然の一部であることを感じられるようになり、心臓の音が聴こえてきます。でも、決して怖くはなかった」と語るマーリアの言葉が印象的で、私もいつしか心臓の音を聞いてみたいと思うようになった。初めて、電気のない夏小屋に泊まった時のことを今でも覚えている。5日ほど過ぎると、トクトクとどこからともなく自分の心臓の音が聞こえて来たのだった。不思議な静寂の中に佇み、素の自分と向き合うような不思議な感覚に陥った。以来、電気のない小屋で過ごすことは、私のなかで原点に戻るようなささやかな儀式になっているのかもしれない。
フィンランドの夏休みは長い。多くの人は7月まるまる1ヶ月休む。会社勤めの夫も例外なく、7月に4週間の休みを取っている。夏小屋を所有していない我が家は、数年前からフィンランド各地を旅して、1週間単位で夏小屋をレンタルして過ごすことにしている。去年の夏は家族3名で夫の出身地でもあるラップランドまでロードトリップをした。途中キャンプしたり、友人宅や親戚の夏小屋によったりしながら時間をかけて北上し、小さな村の夏小屋を借りて、1週間過ごした。大自然の中にぽつんと佇む夏小屋をとても気に入り、今年も同じ夏小屋に行くことにした。未知なる土地もよいけれど、最近は同じ場所に何年も通うのもよいものだと思うようになってきた。
小さな村での暮らし
夏小屋は人口16名の小さな村のはずれにある。この村は、いくつかの家が近すぎず遠すぎない絶妙な距離感を保ちながら建っている。家の周りには塀もなく、コーヒーブレイクには大きな声で「コーヒーを淹れたけど、一緒にどう?」と隣人を誘う。隣人といっても、みな親戚なのだそうだ。この村で育った夏小屋の持ち主であるティーナは、大学進学をきっかけにヘルシンキで暮らしていたが、子供が生まれたことをきっかけに故郷に戻ってきた。ヘルシンキは都会すぎて、どんな風に子育てをしたらよいかわからなくなったのだそうだ。彼女は3名の子供を育てていて、長女は車で30分離れた街でアルバイトしながら、自動車学校に通う資金を貯めている。下のふたりの男の子たちは夜中に自転車で魚釣りにでかけたり、泳いだりして、夏休みを満喫していた。都会で育った私には経験したことのない子供時代を過ごしていて、この村での暮らしを聞いているとわくわくする。
夏小屋での過ごし方
ラップランドの夏はなにしろ明るい。夏の間は太陽がほとんど沈まないのだ。時間の感覚が狂っていき、だんだん自分の体に耳を傾けるようになる。眠たい時には寝て、お腹が空いたら食べる。夫や娘が寝静まっている時に一人で湖を泳ぐのが好きだ。魚につつかれたりしないかと小さな不安が頭をよぎるが、大自然に包まれる感覚は本当に素晴らしいのだ。一人の時間というのも時には必要だ。
ぐーたらしているようだが、電気も水道もない夏小屋での生活は意外と忙しい。食器洗いや体を洗うお湯も火を焚いて温めないといけないので、何をするにも手間がかかるのだ。自然の中に身を置き、少し不便な環境で、ただただ暮らすということを味わう。火を焚くにもコツがいる。我が家ではマッチ一本で火を焚くことができると、自慢げに「マッチ1本の○○(名前)」というマスターの肩書きを名乗ることができる。
夏小屋の「仕事」の中でわたしが好きなのは、薪割り。足を肩幅に開き、侍になった気分でしゅぱっと斧を振り下ろす。集中力が冴えている時は、狙った通りに斧が命中し、勢いよく枝が宙を舞う。癖になる心地よさだ。気づくと親指のつけ根にまめができていた。夏小屋での暮らしでは、都会生活で眠っている野生をほんの少しだけ取り戻せたような気分になる。
フィンランドでは25度を超えるとヘッレ(猛暑)というのだが、わたしたちが滞在した時は珍しく猛暑が続いていたので、毎日2頭のトナカイが急ぎ足で夏小屋の前を通り過ぎて行った。ドタドタドタと外で音がしたら、トナカイが来た合図で、窓から息を潜めてその様子を見守った。なぜ、急ぎ足かというとアブや蚊に刺されたくないからという。確かに、日中の暑い時間帯には見かけは巨大なハエのようなアブがぶんぶん飛んでいる。少し涼しくなったかと思うと、蚊がやってくる。そんなのには慣れっこのティーナは「あぶも蚊も同時にやってこないのがせめてもの救い」と笑っていた。東京育ちの私は何年経っても虫だけは苦手だが、そんな事実もおかまいなしに連日のように虫たちに囲まれて過ごした。
サウナ
夏小屋にサウナは欠かせない。サウナで体を温めた後で、湖で泳ぐのが何よりも気持ちがよいのだ。夕方はサウナに入って、泳ぐという行為を気のすむまで堪能する。温まった体のまま、少し冷たい湖に一歩ずつ入って行くと、体内にミントティーがすーっと溶けていくような爽快感が味わえる。風のない時、湖面は鏡のようにあたりの景色を映し出すのだが、静かに水に入って湖で泳ぐと、手で水をかくごとに水面に輪ができて、何重もの輪が遠くまで広がるのを追いかけるように静かに泳ぐ。
夏小屋では薪を焚いて、サウナを温める。電気のサウナとは違い、とがった暑さがなく、優しい暖かさがある。白樺の若葉がついた枝を集めて、ヴィヒタという束を作る。水に浸したヴィヒタで体をたたきあう。血行がよくなるのはもちろんのこと、白樺の葉っぱのよい香りがサウナに広がる。汗とともに疲れもストレスも心配事も全て流れ出すようだ。
今年は夏小屋で過ごした後に、隣の国スウェーデンに渡り、ストックホルムまで南下したが、橋を渡っただけの隣国なのに、サウナの文化があまり根付いていないことを目の当たりにして、この最高の楽しみが味わえないことを思わず「もったいない」と思ってしまった。フィンランドと日本はよく似ていると言われるが、熱で体を温めてリラックスすることをこよなく愛する気持ちは限りなく近いと思う。
夏休みを終えて
今はヘルシンキに戻り、楽しかった夏を振り返り、少々ノスタルジックな気持ちに浸りながら原稿を書いている。夏休みも終わり、ようやく日常を取り戻しつつある。斜めから射す陽の光を浴びながら、秋の気配も日に日に強くなっていることを感じている。夏小屋での時間は、日常の全てから身を切り離し、頭も心もすっかり空っぽにできるので、最高のデトックスなのだ。そのお陰で、何か新しいことに挑戦してみたいと思っている今日この頃である。