後期のモザイク作品は、私の中でのブリュックのイメージ。
現在、神戸「Töölö(トーロ)」の2階でポップアップイベント「はじめまして、ルート・ブリュック」展が開催中です(※終了しました)。フィンランドを代表するテキスタイルブランド「ヨハンナ・グリクセン」の旗艦店であるこのトーロをはじめ、神戸や東京でショップを展開するデフ・カンパニーの金子修一さんは、実はブリュックの大ファン。「日本でルートの展覧会が開催されるのは、我がことのように嬉しい」と話す金子さんに、ヨハンナ・グリクセンやルート・ブリュックの魅力について聞きました。
ヨハンナ・グリクセン、ルート・ブリュックとの出会い
――金子さんと北欧、フィンランドとの出会いはどんな感じだったのでしょうか。
今は主に洋服を取り扱っていますが、25年くらい前は、家具にまつわる仕事をしていました。仕入れでヨーロッパに行って、ギャラリーや蚤の市などをまわって椅子を集めるわけです。その時に、一脚の椅子に出会ったんですよ。デザイナーのことは知らなかったけれど、とにかくそのフォルムが気になって。当時はまだ20代で、清水の舞台から飛び下りるくらいの覚悟で買いました。それがアルヴァ・アアルトの「No. 51」という椅子だったんです。その椅子を手にしてから、アアルトやフィンランドのデザインのことを知るようになりました。
――テキスタイルブランド「ヨハンナ・グリクセン」との出会いは。
それから数年後に、パリでクラフトの展示会に行って、目に止まったのが「ヨハンナ・グリクセン」でした。やはりデザイナーのことはまったく知らずに、ただただテキスタイルに惹かれて、仕入れることにしました。それから毎年コレクションを見るためにパリのお店にも行って。
その後、数年かかってエージェント契約をし、日本の市場を任せてもらえるようになりました。同じ頃にちょうどこの物件が見つかったので、「ヨハンナ・グリクセン」の旗艦店にしたんです。ここ「Töölö(トーロ)」は今年で12年目となります。
――「ヨハンナ・グリクセン」のどんなところに惹かれたのでしょう。
時代や国境を超えた、普遍的なところでしょうね。テキスタイルの技法にも興味があって、この幾何学のデザインに強いオリジナリティも感じました。
その後、ある時、ヨハンナのお店に行ったら、アアルトの家具を使ってディスプレイしていたんです。それで、私が20代の時に出会った椅子「No. 51」とつながった。実は彼女の祖母が、アアルトと共に「アルテック」を創立したメンバーのひとり、マイレ・グリクセンだと知って、本当にびっくりしました。
――ルート・ブリュックの作品を初めて見たのはいつですか。
12年前に初めてフィンランドを訪れた時に、ヨハンナに自宅やアアルトのアトリエを案内してもらいました。「ほかにどこを訪れたらいいか」と尋ねたら、「今、デザインミュージアムでテキスタイルデザイナーのヴオッコ・ヌルメスニエミとルート・ブリュックの展覧会をやっているから、ぜひ見ておきなさい」と言われたんです。
ルートのことは知らなかったのですが、展覧会に行って、作品のすばらしさにとにかく圧倒されました。暗い空間のなかで、黒と白のモザイクタイル作品が展示されていた。その象徴的なコントラストをよく覚えています。
すっかり感動して、その足でヘルシンキ市庁舎の作品「陽のあたる街」を見に行きました。それから、アラビアのミュージアムにも作品を見に行きました。私はどちらかというと後期のモザイク作品が好きです。自分の中での、ルートのイメージなんです。
ラップランドの冬
――こちら「トーロ」の2階で、ポップアップイベント「はじめまして、ルート・ブリュック」展が7月29日(月)まで開催されています。
昨年、前田景さんがうちのギャラリーで写真展をしてくれて、その時に、彼が撮影したラップランドの話を聞いていたんです。私は前田さんの写真がすごく好きなので、ラップランドでどんな写真を撮ったのだろうと、とても興味がありました。本『はじめまして、ルート・ブリュック』には掲載されていない写真もたくさん展示されて、やっぱり、とってもいいなと思いますね。
実は、昨年スウェーデンとフィンランド中部にある知人のサマーハウスをまわったんですよ。私もサウナから湖に飛び込んだんです。『はじめまして、ルート・ブリュック』の9章に書かれているように、確かに、思ったより浅くてね(笑)。
7、8年前には、サーミの伝統的なブレスレットを作っている作家に会うため、冬のラップランドにも行きました。フィンランドの人に「ラップランドはどの時期に行ったらいいか」と聞くと、必ず「冬」と答えるんです。必ず。冬の北極圏なんて、一番過酷なイメージがあるじゃないですか、でも「夏よりも美しい」って。私が行った時は、本当に白銀の世界で、海さえも凍っていました。結晶のまま降ってくる雪がきれいで、とても神秘的でした。忘れられません。
一方で今回、前田さんの写真を眺めていたら、色がたくさんあって。いつか夏のラップランドにも行ってみたいと思いました。
制限のなかで美を表現する
――金子さんが腕にしている、サーミの人が作ったブレスレット、とても美しいですね。フィンランドでもたくさん売られていましたが、もっと手が込んでいるようです。
今、サーミ博物館に展示されているような工芸作品としてのブレスレットと、お土産品として町で売られているものがあります。前者は、サーミ人の作家が高齢化して、大変希少になってきているんです。
ビースのように見える刺繍は、「ピューター」といって、錫のワイヤーをスパイラル状に巻きつけた糸で作ったもの。ベースはトナカイの革で、トナカイの毛の糸で縫い付け、留め具もトナカイの角。とてもシンプルな材料で作られているんです。
私はこうした土着的なクラフトのものもモダンなものも両方好きで、それはいったい何故なんだろうと自問してきました。最近ようやく、実はそのふたつはつながっている、ということが理解できるようになった。そのきっかけのひとつがルート・ブリュックなんです。
ヘルシンキ市庁舎の「陽のあたる街」は、大きくて圧倒される感じもいいのですが、見る距離感によって印象がとても変わるんです。遠くから見ると「すごくモダンなグラフィックだな」と思いますが、近づいて見ると素晴らしいクラフト。そのあいだをつなげているのは、人の手なのではないかと思います。
――緻密なグリッドで表現をする感じというのは、ヨハンナ・グリクセンのテキスタイルの世界にも通じるものがあるのでしょうか。
モザイクタイルは、小さなピースを使って作るという制限がある。テキスタイルも経糸と緯糸という制限がありますよね。どちらも、「制限のなかで美を表現する」という意味では、近いのかもしれません。
ルートの関心は晩年になるにつれて、空間そのものへと向かっていくようですが、実はヨハンナも今、日本企業との協業でセラミックのタイルなど、住空間に向けた建材のようなプロダクトのデザインをしているんです。なかには畳の縁など、日本の和室向けのものもあります。
彼女がこれまで取り組んできたテキスタイルとはまた違うアプローチで、建築や生活のなかに溶け込んでいくようなところを模索している感じです。私はそんなヨハンナの様子をみながら、ルートがキャリア後期に建築空間のために作品を制作していった頃の考え方に近づいているのかもしれない、と思っているんです。
――ありがとうございました。