ブリュックの越境性
ルート・ブリュックは、
アートであり、
デザインであり、
建築である。
ルート・ブリュック(1916-1999)はアーティストであると同時に、テーブルウェアやテキスタイルを手がけるデザイナーでもありました。
蝶類の研究者で画家でもあった父フェリクスと母アイノを両親に持ち、幼い頃から美術や自然に親しんできたブリュック。作品には、イタリア初期ルネサンスの宗教絵画、キュビスムやシュルレアリスムなど美術の影響を見てとることができます。たとえば、前期(1940〜1960年)の陶板にはクレーやシャガール、後期(1960〜1980年)のタイル壁画にはモンドリアンやヴァザルリの面影も指摘されています。
一方で、デザインもまた、ブリュックの創作と切り離すことのできない要素です。1951年のミラノ・トリエンナーレにおけるデザイン展でグランプリを受賞し、ルート・ブリュックが世界的に名を知られるようになりました。その後も欧米各国に招かれ、デザイナーとしての名声を高めていきました。
また、ブリュックはアラビアの専属アーティストでありながら、ドイツ・ローゼンタールのテーブルウェアや、フィンレイソンのテキスタイル、壁紙などのデザインも手がけています。
さらに1970年代以降にはアールノ・ルースヴォリ(1925-1992)やレイマ&ライリ・ピエティラ(1923-1993, 1926-)といったフィンランドを代表する建築家たちとの協働で公共建築のモザイク壁画も制作しました。
幾度となく北欧デザインが取り上げられてきたなかで、ルート・ブリュックが本格的に日本で紹介されることがなかったのは、アートやデザインをオーバーラップする越境性ゆえだったかもしれません。さまざまな領域における越境の大切さが叫ばれる今こそ、ブリュックのスケールの大きなクリエイションに注目が集まっているのです。