ももぐさ、ブリュック語り 3 「抽象」
多治見で「ギャルリ百草」を営む廊主、陶作家の安藤雅信さんが、地元である多治見について、またブリュックの作品についての印象を徒然に語ります。ギャルリ百草の写真とともに。全7回。
Photo Rui Mori
抽象
2017年に豊田市美術館で、岡﨑乾二郎さんが監修した「抽象の力」という展覧会がありました。
一般的に自然物を模倣したものが具象芸術で、幾何学形態を発展させたのが抽象芸術とされているけれど、岡﨑さんは違う考え方を持っていて、形状の問題ではなく、「もの」は人が関わることによって見え方が変わる、それが抽象だというわけです。
世界で最初に抽象画を描いたのはカンディンスキーとか、マレーヴィチ、ハンス・アルプだとされています。けれど、そのルーツは、スウエーデンの女性画家ヒルマ・アフ・クリント(1862−1944)だと。アルプの妻であるゾフィ・トイバー=アルプ(1889−1943)はダンサー兼家具デザイナーであり、抽象志向においてハンス・アルプに大きな影響を与えました。
ドイツでは、バウハウスの影響を受けたトゥルーデ・ペートリ(1906−1998)がシンプルな白磁を作っているし、舞踊家のピナ・バウシュ(1940−2009)も椅子だけが置かれた舞台を作った。これも椅子に人が関わることによって物語ができます。
つまりヨーロッパの初期の抽象的な思考って、20世紀前半の、女性のアーティストや工芸家たちが牽引しているんです。家具や生活道具などの応用芸術や建築は、人が関わることで見え方が変わってくる。応用芸術が身近にあった女性達に抽象志向が備わっているのではないでしょうか。
岡﨑さんがもうひとつ注目していたのは、ドイツのフレーベルが開発した教育玩具です。見えているものと、動かした時に見えるものが違う、という玩具を10数種類も作りました。
ヨーロッパの芸術家の多くが子供時代にフレーベルの玩具で遊んでいました。明治初期には日本にも入ってきて、恩地孝四郎や坂田一男といった、日本の抽象芸術に大きな影響を与えたというんですね。フレーベルの思想はモンテッソーリとシュタイナーにも影響を与えている。
北欧にももちろん影響があったと思いますが、1920年代に初等教育を受けたブリュックはどうだったのでしょう。
ブリュックはなぜ、ある時期から抽象的な表現になっていったのか。初期の陶板作品を見ていると、「表現の要素が多く、これを続けていると限界がくるだろうな」って思うんです。
具象的な絵だし、色をたくさん使いますよね。かといって絵の具のように自由には使えないし、もっといいものを目指そうとすると技術的にも苦しくなってくる、と想像できます。
そんな時に、ヨーロッパで抽象芸術が広がってきた。20世紀も半ばになると、ドイツのグループ・ゼロ、イタリアのアルテ・ポーヴェラ、日本ではもの派。そういった潮流を感じながら、具象から抽象へと向かうきっかけが何かあったのではないでしょうか。
シンプルな「もの」でも人が関わることで多様な見え方をする。それに気付いたような気がするんです。