THE NIIGATA BANDAIJIMA ART MUSEUM

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THE NIIGATA BANDAIJIMA ART MUSEUM

ルート・ブリュック「シティ・イン・ザ・サン」(1975年)

フィンランドで見られるブリュック作品:シティ・ホール

19. AUG 2018

フィンランドで見られるルート・ブリュック作品を紹介するコラムです。

ヘルシンキの中心地、オレンジ色のテントが広がるマーケット広場(Kauppatori)の向かいに、ヘルシンキ市の市庁舎(シティ・ホール)があります。ブルーグレーの外壁が爽やかなこのエンパイア様式の建物は、ドイツ人建築家カール・ルードヴィッヒ・エンゲル(Carl Ludvig Engel, 1778-1840。ヘルシンキ大聖堂などフィンランドの公共建築を設計した)による設計。1833年にホテルとして建設されました。

ヘルシンキ市がこの建物を買い取り、1913年に市庁舎として改装。その後、1965年から1970年、1985年から1988年の2回にわたって、大がかりなリノベーションを行います。手がけたのは、市のコンペで優勝した建築家のアールノ・ルースヴォリ(Aarno Ruusuvuori, 1925-1992)。ルースヴォリは、現在のエスポー近代美術館が入っている旧印刷工場を設計した人物です。

1970年代、そんな歴史ある市庁舎の1階ロビーに、3人のアーティストによる大型インスタレーションが設置されました。そのひとつが、ブリュックの「陽のあたる街」(”City in the Sun”, 1975年)です。建物の壁に埋め込まれた、幅4.79メートル、高さ2.96メートルもの迫力あるレリーフは、白いタイルを背景に、カラフルな釉薬のタイルを組み合わせてヘルシンキ市を象っています。雪にすっかり覆われたヘルシンキを空から眺めているようなイメージです。大きなタイルは実際にある公共建築を表わしているそうで、確かにヘルシンキ大聖堂やフィンランド銀行、そしてここ、市庁舎の位置も忠実に表現されています。

市庁舎の1階ロビーはすべての人に開放されている。現在、設置されている作品は、Kimmo Kaivanto:「Chain」(1971)、Eino Ruutsalo「Light wall」(1971)、Rut Bryk「陽のあたる街」 (1975) 、Jorma Puranen「Where Compasses All Go Mad」(2007)。

ブリュックは70年代に、こうした色鮮やかなタイルレリーフのシリーズを数多く制作しました。「陽のあたる街」は、そのスケールや完成度においてシリーズの傑作といえます。明るい光に包まれた街のイメージは、当時まもなく還暦を迎えようとしていたアーティストのみなぎるクリエイティブ、そして楽観的で前向きな時代や社会そのものを映し出しているかのようです。

作品自体が光に満ちているのですから、それを照らすための照明は必要ありません。ただ、建物の天井に設けたスリット状のトップライトからやわらかな自然光が降りてきて、作品の上にゆたかな陰影を刻んでゆくのです。作品の前に立つと、身体が思わず動きます。近づいてタイルのひとつひとつを観察したり、離れて全体を俯瞰したり。そのあいだにも、自然光とともに作品の表情が刻々と変化してゆくため、見飽きることがありません。むしろ、自分自身が空間の一部になってしまったかのように、いつまでもそこに居ることができるのです。空間・建築との融合、という意味においても重要な作品です。

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