「多治見で、ブリュック語り」(3)やきものの知恵と経験が総結集した展覧会
「多治見で、ブリュック語り」
安藤雅信 × 山口敦子 × 新町ビル トークレポート
8月、多治見・新町ビルで行われたドキュメンタリー映像の上映会&アフタートーク。ゲストに、多治見で「ギャルリ百草」を営む陶作家、安藤雅信さんを迎え、展覧会のこと、ブリュックのことについてたっぷり語りました。3回に分けて、トークのダイジェストをお届けします。
(1)あんなに変わってゆく陶の作家はいない
(2)大きな変化のなか、美術や工芸はどうなるか
(3)やきものの知恵と経験が総結集した展覧会
(3)やきものの知恵と経験が総結集した展覧会
花山和也(新町ビル ファウンダー/2F「山の花」オーナー)
では会場から質問を受けたいと思います。その前に、新町ビルファウンダーの水野さんから質問があるそうなのですが。
作家とは何か
水野雅文(新町ビル ファウンダー/4Fオーナー)
最近、僕らが興味を持っているのは、作家ってなんなのか、ということなんです。今回のルート・ブリュック展では「セラミック・アーティスト」という表現をしていますが、それに対してどう思われているか、教えてもらえませんか。
安藤雅信(ギャルリ百草 廊主、陶作家)
やきものに詳しくないと「それは何焼きですか」とまず聞きますよね。でも、見る経験を積んでくると、「これはロクロ、これは手びねり」などの技法から、土や釉薬の素材などさまざまな「部分」の情報を作品から読み取ることができるようになります。
ブリュックって、前期は表面的に見ると「可愛い絵だな、綺麗で深い色だな」。後期の作品を見て、「なんで白と黒になっちゃったの、シンプルで物足りない」って感想をよく聞くんだけど、やきものをやっている人がブリュックを見ると、それはもう、知恵と経験が盛り沢山の世界なんですよ。
「芸術は直観が大事」ともいうけれど、それは経験を通した部分知を重ねてきた上での話で、そうすれば見え方が変わってくるというか深まってくる。できるだけいろんなやきものを見て、いろんな人に話を聞いて、理解を深めていくことが大事だと思います。
で、その上で「作家って何か」という質問に答えると、抽象的な考え方からいくと「見えないものに気づく」人。気づいて、それを形や音にする人。それが作家だと思う。具象的にいうと、それで生活が成り立っている人、のことかな。
あえて陶芸家とは呼ばない
水野
僕らは普段、新町ビルで「作家さん」という言葉を使い、いろいろな作家さんと出会いながら「そもそも作家って何だっけ」って立ち止まるんですよね。生活工芸を作る人が増えているなかで、作家の中でも種類があると思っていて。
安藤
その意味でいうと、新しさを感じることができるのが作家。過去の模倣、売れ筋の焼き直し、は作家とはいえない。
山口敦子(岐阜県現代陶芸美術館 学芸員)
私も安藤さんに賛成で、私たちが知らなかったものを見せてくれるのが作家だと思います。この展覧会のプロモーションを担当している人から「ブリュック展では、陶芸家という言葉を使わないでほしい」って言われて。実は、最初は個人的に抵抗感があったんですけれどね。
今回の巡回で、陶芸の専門館は当館(岐阜県現代陶芸美術館)だけ。いつもと違う客層に陶芸と出会ってほしい、という気持ちがありました。ブリュックを「陶芸家」と呼ぶと、イメージを限定してしまうから、そうではなく「セラミック・アーティスト」とした。
ブリュック自身も自分のことをカテゴライズしなかったし、呼び方や言葉で限定しすぎず、いろいろな人に興味を持ってもらい、自由に見てもらえたらと思うんです。実際、陶芸展だと思って来ている人は少ないんですよ。
安藤
僕は自分のことを「陶芸家」とは呼ばないんです。日本で陶芸家というと、工芸の中で陶の制作をする人のことをいう。僕は、アートでも工芸でもないところで陶の制作をやりたいから。ブリュックの立ち位置と似ているなと思って。
日本人は「これひとすじ」みたいな狭いところを評価する傾向があるけど、作家をアーティストとするならば、広げていくことがアートじゃないだろうか。
アラビア製陶所とブリュック
(来場者からの質問)
アラビア製陶所は量産品の会社ですよね。どのようにしてブリュックのアートピースを売っていたのでしょうか。
山口
アラビア製陶所で、量産品を作る部門は別にありました。ブリュックは美術部門に所属して、アラビアの設備と職人の技を使って自分が作りたいものを作り、それをアラビアがアートピースとして販売していました。
ですので、ひとつひとつの作品には「ARABIA」「BRYK」というサインが入っています。アートピースなんだけれど、石膏型を使ってバリエーションを作ることで、ある程度の量を売ることもできました。
またブリュックはアラビアのなかでも特に人気のアーティストだったので、後年にはより自由度高くいろいろな仕事ができるような契約に変えていますね。
(来場者からの質問)
当時は、女性のセラミック・アーティストって多かったんですか。
山口
先ほど上映したドキュメンタリー映像の中で、美術工芸中央学校の授業の様子が出ていましたが、女性の生徒さんが多いですよね。フィンランドでは女性が社会進出するのは戦後から。当時のヒエラルキーから、女性は絵画・彫刻や建築ではなく工芸を学ぶ人が多かったようです。自ずと、アラビアでも女性のアーティストが多くなっていきます。
余白の使い方が抜群にうまい
(来場者からの質問)
「都市」のように緻密で幾何学的な作品に感銘を受けました。ブリュックはもともと建築家を目指していたと聞きましたが、初期の少女的な作風からどのように変化していったと思いますか。
安藤
建築家を目指していたとはいえ、僕は、ブリュックのベースは画家だと思っているんです。すべての陶板を絵画として見てみると、ブリュックは余白の使い方が抜群にうまい。
例えば、この作品「ソーホー」は、おそらく釉薬を掛ける前の素地にマンガンを全面塗った上で拭き取っています。それで取り残したマンガンが、水墨画のボカシのようになっている。かなり計算して、余白を作り出している。にくいくらい、余白が主題を補っているんです。それは、晩年の白いタイル作品まで通底していますね。
ブリュックは、余白が見る側の想像力を刺激するということを知っていたのではないか。この作品「黄金の深淵」もそう。ひとつひとつの金色の裏側には、やきもの作家としての経験値とアイデアが詰まっているんです。近づいて見ると、かなりにくいことをしていますよ。
これ「シチリアの教会」は、石膏型から出して、きっと毎回形や色を変えていたと思う。同じ型を使っているのに、その時々の作家の心象と身体性で形や色が変化する。これは抽象の力そのものです。
山口
職人たちと協働していくなかで、ブリュックが抱くイメージを職人に的確に伝える能力も向上していったのではないでしょうか。
安藤
そう、この展覧会では、ブリュック作品を通して、アラビア製陶所の歴史、職人の技術の総結集を見ているのかもしれません。1回見ただけではわからないから、2回行って、さらに山口さんの説明を聞いて、初めてわかる(笑)。そのくらいやきものとしての情報量が多いんですよ。
山口
ブリュックの作品が世に出ていくことで、アラビア製陶所もまたその技術力を対外的に示すことができました。ちなみに今回の展覧会の出品作は、多くがブリュックの夫で世界的デザイナーのタピオ・ヴィルカラが蒐集したものです。アラビア製陶所で一番いいものができると、タピオが走っていって「僕が買う」と。それでブリュックの作品が散逸しないように、努力していたんですね。
若い作家には見ておいてほしい
花山
安藤さん、最後に展覧会の感想をお願いできますか。
安藤
もう全部喋っちゃったよ(笑)。でも、話をまとめると、表面的なブリュックの印象に惑わされずに、ご自身の見方をしてほしいということ。ひとつひとつ丁寧に向き合っていくと、いろんな見方ができるんです。特に、ものを作っている人だったらかなり参考になると思う。そういう展覧会です。
今後、日本でブリュックの作品をこれだけまとめて見られる機会はもうないのでは。だからこそ日本の、特に、若い作家には見ておいてほしいですね。
花山
岐阜県現代陶芸美術館での会期はいよいよ8月16日(日)まで。ぜひ、ご覧になっていただきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。