THE NIIGATA BANDAIJIMA ART MUSEUM

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THE NIIGATA BANDAIJIMA ART MUSEUM

ブリュックの作品は、色が特別!

アラビアの人気セラミック・アーティスト、
ヘイニ・リータフフタさん

2003年にアラビアの美術部門は廃止され、アラビア・アートデパートメント協会として新しいスタートを切りました。協会に所属するアーティストたちは、アラビアの親会社であるフィスカース社と契約しています。現在、9人いる所属メンバーのひとり、ヘイニ・リータフフタさんは日本でもファンの多いセラミック・アーティスト。ルート・ブリュックも通っていたアラビアの工房に自身のアトリエがあり、アラビアのプロダクトやアートワークを制作しています。ヘイニさんに、アラビアのことや、「先輩アーティスト」であるブリュックについて聞きました。

アラビアの9階にある、ヘイニさんのアトリエ。手前のヘキサゴンシリーズは、現在手がけているアートプロジェクトの作品。

 

アラビアに入れたのは、本当にラッキーだった

――ヘイニさんは、どのようなきっかけでアラビアに入ったのでしょう。

最初に英国やベルギーでセラミックを学び、フィンランドのハメーンリンナで制作をはじめました。それからヘルシンキ芸術デザイン大学の大学院に入りました。

在学中の1998年に、アラビアがデザイナーを募集している新聞広告を見つけたのです。友人が「応募するべきだ」と勧めてくれて、ポートフォリオを提出したのですが、「経験者が大勢応募している上に、あなたは学生なので採用は難しい」と言われてしまいました。

それでも、「インターンではどうですか」と食い下がったところ許可が出たので、ひと夏のあいだ、美術部門のアーティストの助手として通いました。その後、大学院の卒業制作でつくったオイルランプが、アラビアのギフトコレクションに選ばれたのです。それがきっかけで正式にアラビアに入ることになりました。

 

――アラビアに入った時はどんな気持ちでしたか。

とにかく見るものすべてが新鮮でした。ずっと憧れてきた美術部門の一員として、プロとして、ここで制作できるということが嬉しかった。アラビアに入れたのは、本当にラッキーだったと思います。

学生時代、2000年代はじめ頃は、サーフェース、パターン、装飾といったことに興味があったんです。でもほかの学生は、サーフェースよりは、フォルムに関心が高いようで、白くてシンプルなものをつくっていました。私は少し変わっていたと思います。

でも、ちょうどアラビアが、「もう一度、装飾的なものを見直そう」としていた時だったので、お互いに良いタイミングだったのかもしれません。

 

――ヘイニさんのパターンのインスピレーション源はなんですか。

自然、花、植物も好きですが、世界中の人びとがつくってきた、さまざまな装飾や文様に興味があります。特に伝統的な装飾にインスパイアされることが多いです。異文化のなかで生まれたパターンにも、類似性を見出すことがあるのでおもしろいですね。

色々な国を旅したり、歴史を紐解いたりもしますが、日常生活のなかで、アイデアを発見することもあります。小さな花を見つけて、「今、これをセラミックでつくりたい!」と思うこともあります。例えば「ウィンター・ガーデン」という名前の作品は、外が暗くて植物も生えていない冬の季節に、春や夏を思い出せたらいいなと思ってつくりました。

 

――家族の思い出も大切なインスピレーション源だと聞きました。

そうですね。私が何かをつくる時、心地よさや温かい思い出という要素は欠かせません。アラビアの「ルノ」シリーズは、母や祖母が好きだった花をモチーフにしたものです。子どもの時に過ごした祖母の家を思い出しながら描きました。写実的に植物を描くというよりは、記憶を織り込んだオリジナリティを大事にしています。

 

――ご自身のアートワークでは、幾何学的なパターンが特長の、ヘキサゴンシリーズが代表作です。

ヘキサゴンシリーズの最初の作品は、2008年に名古屋の小児クリニックのために制作したものです。それからヘルシンキでは、2012年に集合住宅のパブリックアートとして花の形をした作品をつくりました。その後、小さいサイズのヘキサゴンシリーズを展開するようになりました。

ヘキサゴンのインスピレーションは、蜂の巣のようにどんどん広がっていくもの。私にとっては、どこまでもつくり続けていけるキャンバスのようなイメージです。どこかで、ヘキサゴンは天国のシンボルであると読んだことがあり、これもとてもいいアイデアだと思います。

 

――どのようにつくるのですか。

最初にスケッチをして、設計図を書き、それに合わせてヘキサゴンのピースを並べていきます。ひとつひとつのピースは、釉薬をかけたり、顔料で模様を描いたり、あるいはシルクスクリーンで転写するなど、何度も焼成を重ねながら色とパターンのレイヤーを重ねていくのです。1つのピースをつくるのに、4、5回は窯で焼きます。とても時間のかかる作業です。

 

ブリュック作品は、釉薬の色が特別

――ヘイニさんのお好きな、ブリュック作品はありますか。

私はずっと、ルート・ブリュックの仕事を尊敬してきました。彼女の作品は、キャリアを通じてずっと進化し続けていきましたが、特に初期の繊細さが好きです。手描きのフィーリングがすばらしい。後期はやはり、ルートが生み出したモジュールのシステムに驚かされます。

美術館に行って、彼女の作品を見るたびに、インスパイアされています。作品がどのように開発されたか、何に興味を持っていたか、昔のどんな作品からインスピレーションを受けていたのか。そんなことを考えながら、作品を眺めています。

 

――アラビアのアーティストとして、陶芸の技術について思うことはありますか。

ブリュックの作品は、色、釉薬が特別ですよね。昔のアラビアの技術の粋を集めたものだと思います。なかには鉛など毒性の成分があって、現在では使えない釉薬もあります。でも、当時の釉薬や技術でしか出せない、ガラスのようなツヤや質感にはとても憧れます。

かつての美術部門では、熟練の職人がいて、釉薬や型などの開発をサポートしていました。しかし工場が閉鎖された現在では職人がいないため、技術的なこともすべて自分でやらないといけません。仕事が忙しい時には、私もアシスタントを雇うことがありますが、協会としてコレクションを充実させていくためには、高い技術を持った職人を得ることが必要です。施設の設備は素晴らしいので、これを保持しながら未来に向けてどのように進化させていくかが課題です。

 

アーティストとして活動の場を広げたい

――ヘイニさんにとって、アラビアでのプロダクトのお仕事と、ご自身のアートワークでは、どのような違いがありますか。

プロダクションの仕事をする時には、アラビアのデザインチーム、マーケティングチームが加わり、色の数や形などが決まっていきます。それまでと違う絵柄のお皿をつくりたい時にも、コストが関わるのでチームで議論します。それはそれで私の好きな、対話やプロセスなのです。

一方、私自身の作品の場合は、会社は関与しないので、自分だけを信じます。ここで制作をやめるべきか、続けるべきか、自分自身に聞きながら進めていきます。もちろんクライアントとも話し合いますが、最終的には自分で判断することが多いですね。それが、プロダクションとの大きな違いです。

 

――日本のクライアントとの仕事も多いですね。日本の文化を意識することはありますか。

私の絵が日本の絵画に似ていると言われることがあります。日本に訪れる機会も多く、その歴史と伝統には常に刺激を受けていますが、制作においてあまり意識はしていません。

時々、両国のカルチャーが似ているなあと感じます。日本で風呂敷をデザインした時に思ったのですが、フィンランドのサウナと日本の温泉は、そこでの過ごし方や置かれている家具などがとてもよく似ていますよね。

 

――これからやりたいことを教えてください。

アート作品をもっと制作したいです。私は、パターンデザイナーとしてキャリアをスタートしましたが、アーティストとしても活動の幅を広げていきたい。建築空間に組み込まれるような大型プロジェクトも進んでいます。

一方で、日常の生活用品もつくりたい。休みの日には、家族で美術館に出かけたり、自然のなかで遊ぶことも多いのですが、子どもたちと家で過ごすのが一番好きです。家のなかで毎日使えて、みんなの気持ちを幸せにできるようなものをつくっていきたいです。

 

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